醜形恐怖と整形

醜形恐怖と整形


心を許してない人と会話やメールをすると、後になっていつも
私変な事言ってないよね?!大丈夫だよね?!うそ、やっぱり余計な事を言ってしまった!
こんなことなら何も喋らず黙っておけばよかった、会話に参加するんじゃなかった、と
すごく焦ってしまう。何なんだろう。
実際に失言がきっかけで喧嘩になったことも、ハブられたりしたことも、人間関係がこじれたこともない。
私の知る限りの話ではあるけど。
でもいつも私は人と話すと不安になる。この間なんて遊びに行くのに誘われて、その日程とか行き先を
決める為にLINEをしていただけなのに、ちょっと返事が来るのが遅いだけで
私抜きのグループを作ってるのかな、誘わなきゃよかったって言ってるんじゃないかという想像が
頭の中でぐるぐるぐるぐると暴れていた。

これは誘ってくれたり、一緒にいようとしてくれる友達にすごく失礼な事をしてるんだろうなあ。
理由を考えてみても分からない
拒絶されるのが怖いからだとか100万回聞いたような答えはもう耳タコだし
クリスマスプレゼントは鋼の自己肯定感がほしいです。

巡礼したい

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巡礼の旅に出たい。

私はクリスチャンでも仏教徒でもないし完全に逃避だけど、誰とも話さず誰とも比べず義務も責任も全て自分で完結する旅に出たい。

スペインのサンティアゴ巡礼も良いし、四国遍路でも良い。

でもできれば日本語でのコミュニケーションをとらないで済む方が良いからスペインが良いな。

次は銀の道でも行ってみたい

 

私は人との距離をどのくらいとるべきか、どのように関係すべきかを重くとらえて一人で勝手に絡まってしまうので、一時的なものだと分かっている関係、巡礼路上で出会ってサンティアゴで終わることが分かっている仮保存の人間関係がとても心地良かったし、自分に合っていると思った。

 

現実と向き合っていない、幼稚な逃避だと自分で思うけど、

何したいこれしたい、逃げたいって想像することでちょっとでも楽になるんだから好きにしていいよね。

 

いつか巡礼経験についても書きたいな。

 

知覚と実感、そして認識について

久しぶりだなあ またレールに乗りました。
元気にやってます。

私が実感できることが私の世界の全てであって

私に実感できないなにかがあるということは理解できても私の一部にはならない だからそれは私を動かすことはない
 
複雑さ精密さの極致であるように見えてつるつるぴかぴかしている機械とか 白秋の「夜」だとか国会図書館新館1階の舞だとかには美があると感じるしなにかじんわりゆっくりとした音波みたいな情動を感じる その場合それは私にとっての芸術作品で朔太郎の言うところの生きて働く心理学たりえているのだと思う
 
でもトレヴィの泉の良さはわからないしサモトラケのニケもカメラオブスクーラもフラアンジェリコも同じ ラオコーンの死は好きだけど教科書に価値があると書いてあったり周囲がすごく大切なものとした物言いをするから私はそれに価値があるんだろうと理解するし価値のあるもの芸術だとして扱う それは私の持つ社会性だと思う
 
 でもそれは私の実感ではないし内側に入ってはこない 私の何も振動させない 

普通になりたい

普通になりたい。まともになりたい。人並みになりたい。

 

今まで人並みになりたい、自分は劣等生だと思うことは多々あったけど、勉強を頑張って良い大学行って部活を一生懸命やって、ってステータスを普通に近づけレールに乗る努力をしてきたことでなんとかカバーできていた、歪みを見せないようにできていたんだと思う。
でももうやっぱりごまかしがきかなくなってきて だからこんなに辛いんだきっと。いやだもう嫌だ
普通になりたい。普通で良いのになんでそれすらダメなんだろう。
開き直って強く生きているつもりだけど、ふとした時、今みたいに私はなんなんだろうという疑問と劣等感に首をしめられそうになる。
かえりたい
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就職活動と振り返り

お久しぶりです。

就職活動が忙しく、なかなかブログを更新する余裕がありませんでした。
そう、私は就活生
 
就活生なんですね…
 
何だか信じられません。
私は社会人とそうでない人の間には高い壁があると思っていました。働くことは価値のあることで、何かすごく難しい通過儀礼があってそれを乗り越えた人だけが社会で働けるのだと。
 
ですが、周囲を見ていると"働く"こと自体は今の日本社会にいれば基本的には誰にでもできることなのだと分かりました。
こんな事を言うと怒られるのかもしれませんが、アルバイトなら応募すれば大抵のところで雇って貰えるし、私の周囲の"普通の"大人で働いていない人はいませんでした。