詩人でもない私が詩について考える②

続き。

 

 

考えてみれば、私が詩を読んでまず惹かれるのはそのリズムだ。

ことばのかたまりのなかにある種のリズムを感じ、そのリズムをつくることばから何らかの力強いものやイメージを感じて、はじめてそれを詩だと思うことができる。

では、その力強いものとは何なのか。

それは朔太郎の論を借りるなら感情なのだろう。しかしそれは、感情という言葉を当てはめるほど直接的なものではないのではないか。より曖昧な思念というべきものなのではないか。感情は非常に大きな力を持っており、強い感情であろうと弱いものであろうと、多くの人の頭と身体の中を満たして支配することができる。しかし、その状態では詩を作ることはできないのではないか。詩を振り返って考えてみても、強い感情をぶつけて作られたものだとは考え難い。それはよりささやかな、感情よりもむしろその余韻というべきものなのではないだろうか。私たちは詩から感じ取ったその余韻からイメージをふくらませ、それを楽しむことができる。

 したがって、詩とは鏡のような存在だと考える。それははっきりとした輪郭を持たないものを与えてくれるものであって、それがあいまいで温度を持った感情の余韻であるからこそ、読み手にそれぞれの心理的背景を反映したイメージを与えるのだ。私たちは他者の詩を読んで得た感情やイメージのなかに自らの姿を見ることができるのである。

 

 

参考文献

萩原朔太郎(1959)『萩原朔太郎全集』新潮社

三好達治(1991)『詩を読む人のために』岩波書店

大岡信(1981)『萩原朔太郎』筑摩書房

青木正美(2002)『近代詩人・歌人自筆原稿集』東京堂出版